児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧

2度目の採用試験

私は 大学の時に受けた自治体を 再度受験したかった でも 試験勉強はあまりできておらず 仕事にかまけて 準備は疎かになっていた ある日教頭先生に言われた 「お前、採用試験どうするんか?おれが指導してやるぞ!」 教頭先生は体育会系で 国立大学附属学校…

臨時教員時代

臨時教員とは その名の通り “臨時で雇われた教師”である 産休や病休で 誰かが抜けた穴に入り 埋め合わせをする それだけだ 私は初めての職員室に 自分用のデスクを用意され 浮かれていた 結果から言うと この1年間は非常に過酷だった 学級経営も 学習指導も …

就職の話

何を隠そう 私は小学校の教員免許を 取得する学科にいた 当然 就職希望先は 公立小学校である 私は弟が福岡市の大学にいたため 就職して一緒に住まわせようと 福岡市を受験することにした 私は 受験勉強もせず バイトばかりしていた サークルの卒業イベント…

学園祭の話②

私は大学で 軽音楽のサークルに所属していた つまり、バンドをしていた 私はギターボーカルを中心に 活動をしていた 学園祭では サークルでいくつかのバンドが 中庭のステージに立つことができた ステージバンドは 4年生の先輩が推すバンドが 出演することに…

学園祭の話①

大学の学園祭での思い出は 出店を運営したことだ 私が在籍していた学科では 毎年ホットドックを売っていた といっても ある先輩が 「学科で何か出店しようよ!」と なんとなく始めたのがきっかけらしい 歴史とか伝統とかよりも 「先輩がやっていたから」とい…

経済的支援の話

※今回の内容は思ったことをベタ打ちで書いているので文脈がぐちゃぐちゃになっています。予めご了承ください。 大学生活自体は順調だった ただ、金銭面で困った 授業料免除の書類を期日までに 提出できず 学生支援課に掛け合った 一応、書類は通してもらった…

巣立ちの話

高校卒業に向けて 着実に進んでいった 私のいた児童養護施設から 国立大学へ進学することは稀で 私と一緒に社会に出る子は 皆就職だった 事務の先生は 返還不要の奨学金を たくさん探してくれた お陰でたくさんの準備金ができた 施設の他の子たちや指導員の…

泣いた話〜生きるということ

(今回の話は、施設入所中の記憶を辿りながら、ふと考えたことである) 高校の時 何が理由だったかはわからない どんな経緯だったかはわからない だけど 指導員室の横の 宿直の先生が寝る部屋で 「にいちゃんがしっかりせんといけんと?何で俺ばっかりこんな…

アルバイトの話

私は推薦入試が終わり センター試験に向けて勉強していた きたる合格発表は センター試験の1ヶ月ほど前だった 私は職員室に呼ばれ 担任と一緒にパソコンの画面を見た そこには 私の番号が書かれていた 学年の先生たちは 自分のことのように喜んでくれた やっ…

大学受験の話

朝早くに 私はいつもと違うバスに乗り 普段使わない特急電車に乗った 1人で他県へ行く 初めての経験だった 早朝だからか 指定席はガラガラだった 荷物から試験対策ノートを出し しばらく眺めた後 すぐに飽きて窓の外を眺めた 海が見えた 遠浅の眺めのいい景…

進路選択〜祖父の死

私は 福岡で 小学校の教員免許を取れる大学を探した 私立の大学は授業料が高く 母から支援をもらえない以上 国公立しかない それなら 福岡教育大しかない 私はこの大学で希望を出した 幸い 進研模試の結果はA判定 大学に行けそうな気持ちに安心した 担任に呼…

後夜祭の話

私の母は 長渕剛のファンだった 子どもながら 時代錯誤も甚だしい長渕を 延々聞いていた その後、父の勧めもあって ギターを弾いていた 下手くそなのに声だけやたら大きい私は 近隣に聞かれ 「昨日、コンサートしてたね。」 などと冷やかされていた 施設に入…

進路を決めた話

高校1年生から施設に入り 生徒会はしていたものの 他の部活生よりは 随分とのんびり出来ていた 早めに帰宅し 18時には夕食を食べ そのあと課題をこなし テレビ見たり話したり ゆったりした生活をしていた 洗濯物は自分でするが 家族全員分する必要がなく 食…

高校生活

学校へは今まで通り通った 幸い、自宅と施設の場所は近く 中学校区も隣同士だった 施設の職員には 最寄りのバス停から通うことを提案されたが 私は今まで通りのバス停に 歩いて通うことにした 私は、施設にいることを 学校の友人に隠すことにした 理由は単純…

いざ、児童養護施設へ

児童養護施設って、一体何なのか 全くわからなかった 聞いたのは、 寮みたいなものだと 新しい友達ができるのだろう 引っ越しをしたことは ぼんやりとしか覚えていない よくわからない人が来て 児童相談所なるところに連れていかれ 何やら待たされて 施設へ…

高校生活(施設入所まで)

高校に進学した 部活は当然のごとく、テニス部に入った 最初の学力テストで 学年の平均くらいの点数を取った 今まで上位しかとったことがなかったため あせった 贅沢な悩みだ 勉強の内容は難しかったが、頑張っていた 高校入学しても 母は相変わらず入退院の…

小学校〜中学校の頃の家庭

初めは伯母さんのアパートに住んだ そこには年上の従兄弟がおり それなりに仲良くしていた 母と伯母はしょっちゅう喧嘩をしていた 似た者同士、衝突するのかとも思っていた 結局、近くのアパートに引っ越すことになる その後も、近隣の住民とのトラブルや 子…

中学校の頃

中学はテニス部に入った 吹奏楽の頃の友達が入ると言ったからだ この頃は 音楽をしたいという気持ちより 信頼できる友達と居たいという気持ちが強かった クラスでは、当然のようにいじめに遭った クラスのヤンキー系の男子から目をつけられ 殴る蹴るは当たり…

小学校の頃

小学校1年生の頃から 私の落ち着きのなさ こだわりの強さが目立った 小1の頃 好きな遊びはドッジボールだったが それ以外の遊びをしたがらなかった 友達がおにごっこやサッカーをしようと言うと ドッジボールをしたい人を探した 一緒に遊んでくれる友達が1人…

出生〜小学校1年

父は実家が経営する会社の社員 母は結婚してスーパーの店員を辞め父の会社を手伝っていた 私は長男として生まれた その後、年の近い弟と妹が生まれる 坂の多い住宅地の一戸建てに住む その頃は何の変哲も無い一般家族だった 両親の結婚は 両家の反対を押し切…

普通の人生〈ブログ概要〉

もし、普通の人生が送れたなら と、ふと思う 家族と離れ 社会的養護を受け 人とは違う育ち方をした しかし 「普通の人生」とは 一体何なのだろうか 誰しも何かしらの困難を乗り越え それなりの努力をして 「普通」になる 高校生くらいまでは 周りの人を羨ん…