児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

小学校の頃

小学校1年生の頃から

私の落ち着きのなさ

こだわりの強さが目立った

 


小1の頃

好きな遊びはドッジボールだったが

それ以外の遊びをしたがらなかった

友達がおにごっこやサッカーをしようと言うと

ドッジボールをしたい人を探した

一緒に遊んでくれる友達が1人でもいれば

ドッジボールでキャッチボールをした

そんな感じだったので

仲の良かった友達も次第に離れ

最後はドッジボールを持って1人で外に行き

誰とも遊ぶことなく帰ってくる

そんな休み時間を幾度となく過ごした

1人ぼっちになるギリギリ前まで

一緒に遊んでくれていた友達が

「ごめん、おれ、サッカーしたい」

と言った切なそうな顔は今でも忘れない

 

 

 

私はそもそも

コミュニケーションが苦手だった

相手がどんなことを思って

どういう気持ちで話をしているのか

「察する」ことができなかった

こだわりも強く

自分が間違っていると思っている行動を

友達がしているなら

口出しせずにいられなかった

 


ただ、勉強はそこそこ出来ていたことと

共通の話題があるコミュ力高めな友達がいたおかげで

学校自体に不満はなかった

年齢が低ければ、そんなに問題なかったが

やはり、高学年ともなると問題だ

変わっているやつは弾かれる

「いじめ」だ

 

 

 

5年生の頃

友達に誘われて吹奏楽の課外クラブに入部した

小学校に赴任してきた先生が新設した

月謝1000円で、夕方に預かってもらえることもあり

母は入部を快諾した

吹奏楽でパーカッションに入り

熱中して練習し

小学校の夏祭りでドラムを叩いて

大きな拍手をもらった

あまり積極的に褒められた経験がない私は

とても幸せな気持ちだった

 


その頃、クラスに転校生が来た

気の強い女子だった

私と数回話した後

「お前、ひねくれてんな」

と言った

 


それから、クラスの友達の様子が徐々に変わっていった

あいつはひねくれている

吹奏楽でドラムをしてかっこつけている

触ったものに菌が付くと言われ

席替えするたびに隣になる友達に嫌がられ

泣く人まで出だしたくらいだった

友達が先生の言いつけを破った時

注意をしたら「調子に乗るな」と殴られる

察することが苦手な私でも

流石に察するわけです

 


菌呼ばわりされることは

卒業まで続いた

クラスの外に出て

吹奏楽部に行けば何もないが

 


つらかった

 


だんだんと人の顔色を伺って

人の機嫌を損ねないようにした

しかし

元々察することが苦手な私は

的外れな行動をする

また、嫌がられる

何をしたら友達が

自分を嫌わないでくれるのか

全く分からなかった

そして

クラスの友達と喋らなくなった

クラスの中には

味方になってくれる友達はいたが

私の目には入っていなかった

 


それでも、不登校にはならず

なんとか頑張れたのは

弟たちがいたこと

母がいつも味方だったこと

吹奏楽に仲のいい友達がいたこと

そして

不登校になって

人と違う道を進む勇気がなかったことだ

 

 

 

私の小学校の頃は、あまりいい思い出がなかった