児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

出生〜小学校1年

父は実家が経営する会社の社員

母は結婚してスーパーの店員を辞め父の会社を手伝っていた

 

私は長男として生まれた

その後、年の近い弟と妹が生まれる

 

坂の多い住宅地の一戸建てに住む

その頃は何の変哲も無い一般家族だった

 

 

両親の結婚は

両家の反対を押し切っての結婚だった

 

 

父の会社は家族経営だったこともあり

収入は最低限だった

父はそれなりの役職に就いていたため

朝早く出勤し帰りも遅かった

 

 

母は父にとても困っていたらしい

母方のじいちゃんは公務員で

「父親は家族のために早く帰ってくるもの」

と認識していた

しかし、父は

「会社のために」

が中心の人物だった

夜遅くに父が会社の後輩を連れてきては

飲み会をしていた

「居酒屋は高い。だから家で飲む。」

酒やつまみを作るのは母だった

 

私は兄妹のなかでも特に早寝早起きで

19時には寝て5時に起きる生活リズムだった

母は深夜に父の会社の人に料理を振る舞い

早朝から子どもの世話をしていた

 

父はとても厳しい人で

言うことを聞かなかったり

人に迷惑をかけると

げんこつをした

私は父のことが好きだったが

殴られることに怯えていた

 

母はいつも一緒にいてくれた

悪いことをしたら叩かれた

好きではあったが

叩かれるのは嫌だった

 

私は赤ん坊の頃、誰が抱っこしても泣かない

人見知りをしない子だった

歩き始めや言葉がでるのは早かった

ただ、人見知りしない分

落ち着きのない子どもであった

大型スーパーやデパートに行けば

一瞬で迷子になっていた

叱られるようなことをすぐにする

同じことを繰り返し叱られる

そして、叱られると際限なく泣いた

好きなこと夢中になると

周りが全く見えなくなっていた

ウルトラマンが好きで

ビデオテープが擦り切れるまで観ていた

その間は何を話しかけても反応しなかった

 

 

私が5歳の頃、私たち兄妹は保育園に入った

母が本格的に働きに出るようになったからだ

その頃から、父と母が喧嘩する姿をよく見るようになった

 

 

私は小学校に入学した

両親が仕事で弟たちが保育園に行っていたため

下校後は母方のばあちゃん家に帰っていた

夕方母が迎えにきて、家に帰る生活をしていた

学校では、落ち着きのない姿は変わらなかったが

 

 

その頃から両親の関係がさらに悪化した

父が母を殴る姿を見たことがある

私は幼心に

「弟たちを守らなければ。」

と思った

 

私が小学校1年生

寒くなりだした頃に

両親は離婚

兄妹3人は母に引き取られ

母の姉(叔母)の家に行くこととなる

 

大人になって知ったことだが

両親の離婚の原因は

両親の金銭感覚の違いだったらしく

両家を巻き込むほどのトラブルがあったようだった

 

 

こうして、私は母子家庭で育つこととなる