児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

高校生活(施設入所まで)


高校に進学した

部活は当然のごとく、テニス部に入った

最初の学力テストで

学年の平均くらいの点数を取った

今まで上位しかとったことがなかったため

あせった

贅沢な悩みだ

勉強の内容は難しかったが、頑張っていた

 


高校入学しても

母は相変わらず入退院の繰り返し

兄妹で分担して家事をする日々

朝、1番に起きる

朝食を済ませ、家を出る

バス停から高校のスクールバスに乗る

朝練を1時間して

1限目〜6限目まで

その後部活をする

家に帰り、ご飯を食べる

伯母さんに作ってもらうことが多いが

私が作ることもある

洗濯は私の仕事

洗濯機のスイッチを入れ、宿題をする

洗濯が終わっても宿題が終わらない

朝ご飯用のご飯のセッティング

宿題が終わらない

そんなこんなで12時を過ぎる

眠くなって寝る

朝練のために5時半に起きる

 


以下無限ループ

 


土日も朝から晩まで部活、部活、部活

友達はコンビニやらカラオケやら寄って帰る

私はお金がないからと言い、断る

1人帰路につく

家に帰ったら、食事風呂洗濯宿題

コミニュケーションが苦手で

関わりが少ないと関係を作れない

日々の疲れで、先輩達の試合中に

応援しながら立ったまま寝ていた

先輩に注意される

同級生から嫌な目で見られる

家に帰ったら、食事風呂洗濯宿題

 


母の偉大さを感じた

仕事しながら家のこともほぼ全て1人でこなし

少ない給料で

誕生日は必ず名前入りのケーキ

私たちの悩みも愚痴も全部受け止めて

兄妹3人を愛してくれた

それを母は

離婚して何年もしてきた

 


そりゃ

病気にもなるわな

 


眠る前ふと思って涙が出たことがあった

 


「おれががんばらんと、弟妹はだれがささえる?かあさんおらんなら、おれしかおらんやん。」

プレッシャーがのしかかった

 

 

 

そんな生活が2ヶ月ほど続いた

私は母ほど頑張れなかった

心の中で

「逃げたい。逃れたい。」

そんなことばかり考えた

部活も、宿題も、家のことも

消えてなくなればいいのにと

 


まず

部活がしんどくなったから

顧問に相談した

「部活に居場所がないんで、辞めたいです」

と言った

顧問は引き留めてくれたが

私はとにかく負担を減らしたくて

部活のしんどさを伝えた

顧問は、部活を辞めることを認めてくれた

その後

「部員には、家庭の事情でって言っておくから、気にするな。他の部活とか、同好会とか入ってもいいからな。」

と顧問は言ってくれた

 


「家庭の事情」

 


本当なら

そう言っておけば、みんな何も言わない

居場所がないことが原因とは思わない

でも、家庭の事情なんだ

母が頑張ってなんとかしてきた家庭

自分じゃどうしようできなかった家庭

自分の不甲斐なさが生んだ退部

それなのに

「家庭の事情」でって、、。

顧問が気遣ってくれているのはわかる

わかっているから、文句はない

だけど、どうなんだ

頭の中がぐるぐるして

感情をどう表していいかわからなくて

ほんの少し涙が出た

 


顧問はそれを見て、肩をポンポンと叩き

「大丈夫。大丈夫。」と言ってくれた

そうじゃないんだ

と、思いながら

 

 

 

部活を辞められたところで

母が長期で入院するようになった

自宅で睡眠薬を大量に飲んだり

遺書みたいなものを書いて風呂場でリストカットしたり

その度に家族は大騒ぎしていた

私はなぜか

母の自傷行為には冷静でいられた

 


私は部活がなくなったことでできた時間を

家族のことにあてた

伯母に任せきりにせず、食事も作った

昼食は、購買部の100円のパンのみにした

母の見舞いにも行った

弟妹の家事分担も、少し手伝った

勉強も宿題もがんばった

しかし

弟妹は家事分担をしないこともあった

必要以上にイライラした

モノに当たったこともあった

暴言を吐いたりもした

それで自己嫌悪になったりした

 


夏休みが終わり

新学期が始まったころだった

母が外泊に来ていた時

宿題が終わり寝ようとした

ふと顔をあげると

キッチンの棚の取っ手に

母が服用している薬が

安っぽいビニール袋に入れられ

ぶら下がっていた

中を見ると

1つの包装に数種類の錠剤が入れられ

「朝・夕食後」などと書いてある

母が最近

「薬が効かなくなって、強い薬にしてもらった」

と言ったことを思い出した

 


強い薬

ずっと服用している母が

「強い」と表現するくすり

これをのんだらどうなるか

がっこうをやすめるか

いえのことしなくてすむか

なんからくになれる

にげれるんじゃないか

 


しねるかな

 


薬の袋を一包取り出し、

蛇口の水で一気に飲んだ

 


すぐに何かが起こるわけではなく

落胆して眠りについた

 


寝起きは最悪だった

頭は必要以上にガンガンするし

フラフラする

熱を測ったが微熱

とりあえず休めると思い

自分で高校に電話して休みをとった

 


布団に潜り頭痛と戦う

外泊している母が看病する

 


情けない

結局ひとに世話になってばかり

自分じゃなにもできないじゃないか

学校休んだし勉強が遅れる

また明日学校に行くのか

しんどすぎる

 


そんなことは言えず

次の日は普通に学校に行った

違ったことは

母の薬を三包、隠し持っていたことだ

 

 

 

いつかは覚えていない

急に学校に行きたくなくなった朝があった

 


ああ

しのう

 


誰も起きていない早朝5時頃

母入院中

弟妹就寝中

おれご臨終

ははっ

おもろっ

 


キッチンで隠し持っていた薬を三包飲んだ

すぐに効果がないことは知っていた

だから布団に潜りこんだ

弟妹には

「頭痛いから、今日休む。」

とだけ言った。

布団の中で心臓がバクバクと

脈拍数をあげている

これで楽になれる

朝日が入らない西日の窓の

柔らかい光を浴びながら

深い眠けが襲う

鼓動がドクドク強くなる

これが高揚なのか警報なのか

わからないまま眠った

 

 

 

これで、じゆうだ

 

 

 

 

 

 

 


ガラガラガラガラ

あれ、おるん?

学校行ってないんかね?

大丈夫ー?

なんしよっとね

体調悪いなら連絡せんばやろ?

高校から電話あったとよ

 


遠くで母と伯母の声がする

頭がガンガンする

残念

逝けなかったみたいだ

薬を飲んだとは言えず

体調が悪いとだけ言った

母と伯母は

私のために買い物に行き

ご飯を作り着替えを準備した

心配をして看病してくれた

今日は、外泊の日だったらしい

 


ああ

これは死ねないな

母が何度も死のうとして死ねなかったことを

よく知っている

もうバカなことすんのやめよ

ダメならダメでいいから生きとこ

そう思った

 


学校に行くと、担任に呼ばれた

「お前今どんな生活しとるんか。」

私は家のことをしながら宿題をして

あまり睡眠時間がとれないことを話した

担任は

「4時間はすくないな。せめて5時間寝ないとしんどいぞ。無理すんな。寝ろ。」と言った

いや、中学くらいまで8時間寝てたんすけど

しんどいどころか、死ぬことまで考えてたんすけど

普段高圧的なおっちゃん先生が

こうやって話をしてくれたのは新鮮だったが

 


それからしばらくして母から話があった

児童養護施設ってところがあるんやけど、そこにいかん?」

母が病院の知り合いに

そういうところがあると聞いたらしく

現実的に施設に入ることができるとのことだった

私は二つ返事で了承した

弟はあっけらかんとしていた

妹は嫌とは言わず泣いていた

 


環境が変わる

現状が変わる

変わるならなんだっていい

藁にもすがる思いだった

 

 

 

こうして、高1の秋

私は弟妹とともに

児童養護施設に入所した