児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

人は人を傷つけて生きている

私たち人間は1人では生きていけません。必ず誰かのお世話になっています。衣食住に始まり、仕事から娯楽まで、何を取っても共存しないと成り立たないものばかりです。

 

共存していく中で、衝突することもあります。我慢しなければならないこともあります。だから、傷つくこともたくさんあります。そして、傷つけてしまうこともたくさんあります。

 

私たちは、人を傷つけて生きています。

 

それ自体はしょうがないことなんです。共存するためには、ぶつかりながらも乗り越えていかなければならないのですから。

 

体についた傷は、そのままにしておくと悪化して、命に関わる可能性があります。だから、消毒したり、傷口を保護したりして、自然治癒力で傷が治るようにします。

 

では、心の傷はどうでしょうか。実はこれも同じで、そのままにしておくと悪化します。だから、消毒したり保護したりしなければなりません。

しかし、体の傷と違うところは、傷口が見えないところです。どんな人にも、心の傷は見えません。だから、見ず知らずの人に、見えない傷口をグリグリえぐられて、気づいたときには塞がらないほど傷が広がっていることがあります。

 

心の傷を消毒するには、「受容と共感」が必要です。誰かと擦れてついた傷は、他の誰かに容認してもらうことで、傷に付着したバイ菌が取り除かれます。

心の傷を保護するには、「自分の全てを受け入れてくれる居場所」が必要です。一般的に言えば、親や兄弟といったところでしょうか。どんな傷を受けても、当たり前に居場所があることが、傷口の保護につながります。

 

何度傷ついても、何度か経験すれば、傷つかなくてもいい方法を見つけることができます。また、適切な処置を続ければ、多少のダメージでは血が出ない皮膚になることもあります。そうして傷つき続けても、回復しながら傷つかないようになっていきます。

勘違いしてはいけないのは、あくまで適切に処置したら、今後うまく対処できる、ということです。傷口を放置したままでも回復する人も中にはいます。しかし、回復できなかった人は、その傷が一生残るものになるかもしれないし、命に関わることもあります。

 

また、すでに傷が一生のものになっている人も大勢います。心の傷はトラウマになり、精神疾患や情緒障害を引き起こしている人もたくさんいます。

そして、この記事で傷ついてしまう人もいるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

私が言いたいことは、人は生きているだけで、誰かを傷つけてしまっているということです。その中で、自分を傷つける人もいます。

だから、人の心の傷を癒す方法を学び、保護してもらえる居場所を確保しないといけません。

 

 

 

 

それが、十分に与えられなかった人がいます。それが、社会的養護を必要としている子どもであって、そういう経験をした大人です。

 

 

 

 

 

私の目標は、まず、自分が満たされること。そして、傷ついた人を受容できる人間になることです。

 

理想ばかりで、現実的でないと言われれば、それまでかもしれません。それでも、私にできることはしてあげたい。そう思う、今日この頃でした。