児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

※文章に太字も斜体も入れていないため、見にくい文章になっています。駄文ですみません。

 

 

 

今日は雨でした。

 

 

 

私は昔から雨が好きです。

  

 

 

 

普通水は海や川にあるものなのに、大量の水が空から降ってくる。学校で習った理屈は分かっているのですが、未だに不思議でなりません。この水は一体どこから来たのだろう?遠い海の果て?それなら、ここで私と出会った雨は、運命的な出会いです。そして、またすぐにサヨナラ。手のひらに乗った雨粒を見るだけで、とても深い世界に引き込まれます。

 

それから、雨の音が好きです。雨粒が屋根に当たる音。雨樋から溜まった水がどんどん流れる音。石や葉に当たってザーっと砂嵐のようになる音。普段なら遠くから聞こえるはずの鳥の鳴き声が聞こえてくるのに、雨の日は聞こえない。と思ったら、場違いな鳥の鳴き声も聞こえてくる。たまに聞こえる車のエンジン音がいつもより遠くにあるように感じられるような、静かな騒音。目を閉じて楽しむことができます。

 

そして、雨は、センチメンタルな気持ちになります。雨降りの日の空は灰色。雨が涙を連想させ、悲しい気持ちを引き出します。失恋したな、あの時つらかったな。裏切りにも遭ったな、しんどかったな。窓の外から雨を眺めるだけで、ドラマの主人公のような気持ちになれます。私の場合、雨を眺めていると、想像力が増して、創作意欲に駆られます。それが文章になったり歌になったり。

 

 

天気と、人の感情は似ています。

晴れの日は、ただ嬉しくて笑顔が出ます。たまに涙が出て、天気雨のようになります。喜びの感情はいろいろな感情をかき消して表に出てきます。太陽の光のように。

雨には、いろんな種類があります。大雨、小雨、豪雨、雷雨、霧雨、俄雨、叢雨…。それと同じように、人の悲しみは複雑なことが多いように感じます。喧嘩、失恋、裏切り、不満、陰口、死…。降り続く時もあれば、一時的な時もあります。

 

雨と涙はつながっています。悲しい時に流れる涙は、流し切ってしまえば、スッキリします。雨上がりに晴れて虹がかかるのと同じです。

 

雨は人にとって必要なものです。生に必要な水は、雨によって得られます。実は、悲しみは人間の生に必要なものではないかと、私は思っています。悲しみを知っているからこそ、そこにある喜びに気づき浸ることができるのです。

 

雨ばかりではいけません。降り続く雨は、川を氾濫させて人々を飲み込みます。心も同じ。悲しみが溢れると、生きていけません。

 

逆に、晴ればかりでもいけません。日照りが続けば大地が枯れ、誰も生きることができません。なんでもかんでも喜んでいると、心が枯れて、いつのまにか身が滅んでいます。

 

 

この世界は、絶妙なバランスで成り立っています。表裏一体のものが、お互いに同じ力で引っ張り合っているから、成立しているものが山ほどあります。

天気もそう。晴れや雨がお互いを補完し合っているから、植物が育ち、動物が生きられる。

 

 

 

 

 

 

そして、私たちの心もそう。喜びを知っているから頑張れる。悲しみを知っているから優しくなれる。

悲しみに明け暮れて、どうしようもないとき、雨を眺めてみてください。そして、雨と涙で心を洗い流してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

私は、そうして乗り越えてきました。