児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

自傷

ある話をします。タイトルにしている内容です。気分を悪くする人がいるかもしれません。画像はありませんが、かなりセンシティブな内容だと思います。それをご了承の上で、閲覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

居間に、1枚の紙切れが置いてありました。「ごめんなさい。死にます。」と。利き手でない手で書いたような、ぐにゃぐにゃの字でした。その横に、中身の入っていない薬の袋が10個ほどありました。ふと、風呂場の方から、シャワーの音が聞こえてきました。こんな時間に、シャワー?と思い、風呂場の戸を開けると、女性が1人、手首から大量の血を流していました。手首の切り傷からは赤い皮膚が見え、浴槽には血と洗剤の泡がたまっていました。

私は、その女性に「なにしてんの?」と冷静に声をかけ、ずぶ濡れの体を引きずり出し、バスタオルをかけました。その後、女性はただ泣いていました。私はその姿を、黙って眺めていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おそらく、想像が付くと思いますが、この話は、私と母に実際にあった出来事です。私が中学生だったのか高校生だったのかはわかりません。ただ、その断片的な映像だけは、今も脳裏に焼き付いています。

自分の実の母が、自分で自分を傷つけて死のうとしているという、かなりショッキングな出来事だったはずなのに、私はなぜか、至って冷静でした。

 

 

 

私は、私が生きるために、心の一部を自傷し、「死」に対する痛覚を、苦しみに対する共感能力を、壊してしまったのかもしれません。痛みが分からないから、生きてこれました。これが、私の「生」を支える根っこです。こうして、人の気持ちを察することが出来ずに、知らず知らずのうちに人を傷つけてしまう私が成立したのです。

 

私が受けてきた精神的な苦痛は、おそらくこれだけではないでしょう。もっとたくさんの要因が絡み合っているはずです。しかし、この出来事が、私の経験の一部であることは事実です。

 

 

 

 

 

私も、母の薬を飲んで自殺しようとしたことがあります。ですから、自傷行為をしてしまう人の気持ちはなんとなく理解しているつもりです。

苦しい、つらい、逃げたい、逃れたい、構ってほしい、信じてほしい、受け止めてほしい、なのに誰も助けてくれない、否定される、悲しい…、そして、死にたい。

人それぞれ、理由も原因も違います。一概に「これが自傷する人の気持ちだ!」と一般化することはできません。心の闇は、社会のものさしでは測ることはできません。

 

あなたの周りにも、自己に苦しみ、自傷してしまう家族や友人がいるかもしれません。きっと、指導しても注意しても、自傷は止まらないでしょう。

その人をなんとか助けたいと思うならば、自身の無力さを理解したうえで、寄り添ってあげてください。

心の傷は簡単には癒えません。何かのきっかけで一気に傷が塞がることはあっても、特効薬はありません。古傷が開くこともあります。自傷するほどの苦しみを抱えた人にとって、周りのどの人も、多くは役に立ちません。「助けたい!」と思って使命感を燃やしたところで、心の闇を照らすことは難しい。あなたは、自傷する人の助けになれない可能性の方が、極めて高いのです。

 

 

 

 

 

自傷を繰り返している人は、まだまだいます。その人たちに向けて、私の考え方を伝えます。

 

 

自傷行為を繰り返してしまう方々へ〜

私は、私以外の人間に期待しないようにしています。あくまで、私を支えるのは私しかいない。それ以外の人間には、私の「中身」は分かりません。他人に期待すればするほど、自分が苦しくなるだけです。別に、死にたきゃ死んでもいいと思います。それがあなたの人生の終わりとしてふさわしいのなら。しかし、私は死ねませんでした。そして、なんだかんだ乗り越えて、苦しみながらも生きて、大切な人と出会うことができました。今は、人生の終わりにふさわしい「良い死に方」を目指して生きたいと思っています。

それでも、悩んで悩んで、つらい状況が変わらないのなら、とりあえず私と一緒にご飯食べに行きましょう。美味い店を紹介しますので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、かっこつけてみました。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗い内容ですみませんでした。