児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

「失敗」を徹底的に叩く社会

世の中には、たくさんの「失敗」が転がっています。この時期なら、受験でしょうか。必ず全員が合格するわけではありませんよね。失敗する人も沢山います。

大人で言えば、犯罪でしょうか。飲酒運転、覚せい剤、窃盗、恐喝、等々。事業に失敗して借金する人もいます。不貞行為でメディアに取り沙汰される芸能人もたくさんいます。

私自身もたくさん失敗してきました。というより、今も失敗することが多々あります。注意されて、謝って、なんとか乗り越えていけるよう努力するのです。

 

 

 

なぜ、こんな話をするのかというと、最近の日本の「失敗した人を叩く風潮」が気になり始めたからです。

テレビをつければ、メディアが事件を取り上げて批判を繰り返しています。SNSでは、「炎上」という現象も起きます。たしかに、悪いことをした人は、それなりに罰を与えられるものです。でも、それは警察や司法の仕事です。本来は私たちがすべきではありません。何か悪いことをした人に、誹謗中傷のメッセージが届くとか、よく聞きます。

 

それって、良い社会の風潮なのですか?

 

失敗した人や間違いを犯した人にも、大切な人がいます。無関係の人間が、その人たちの生活を壊す権利があるのでしょうか?

 

 

 

教育関係者として言いたいのは、子どもが学ぶタイミングは、失敗したときなんです。失敗して、「あれ?上手くいかない?」から、「どうやったらできる?」に変換し、「こうやったらできた!」というステップを踏むことで、より身についていくのです。

みなさんは経験ありませんか?簡単にできたことは覚えていなくて、困難や苦悩の経験は鮮明に思い出せること。

失敗→改善→成功 という流れができてこそ、人は成長するのです。

そんな中、1度失敗した人間を、その周囲で事態の一部を知っているだけの人間が叩き回すのは、「いじめ」以外のなにものでもありません。弱っている人を追い込んで楽しいんですか?

 

 

 

 

これからの社会に必要なことは、失敗した人が立ち直ることができる余力を持つことです。それは、失敗した張本人だけでなく、その周りの人も同じです。

なぜその人が失敗したか、今後どうしたらいいか、そのために何ができるか。そういうことを考えることができる人が多くなればなるほど、社会は心身ともに健康になるのではないのでしょうか。争いがあれば、当事者同士で話し合いさせて、決裂するなら、第三者の意見を入れるまでです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、権力振りかざして好き勝手している人は別ですよ。

 

私が言いたいのは、自分の生活に関係のない人を傷つけたり、弱者をいじめるなというだけの話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たち人間は、共存しないと生きていけないのですから。