児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

海を眺めるだけ

ある日の早朝、1人自転車で海を眺めに行きました。

 

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その日は、肌寒くはありましたが風はなく、非常に穏やかな気候でした。朝、自分で淹れたコーヒーを飲みながら、海を眺めていました。頬で感じるひんやりとした空気と、少し冷めたコーヒーの香りが、何とも言えない幸福感を私にもたらしてくれました。

 

 

私の人生で、これほどゆったりと自分の時間を大切にしたことは、とても少なかったように思います。両親が離婚し、「ヨウがお父さんの代わりだね。」と言われたのが小学校1年生の時。それから、子どもらしく育てられつつも、自分の中で「きちんとしなきゃ」「認められる存在にならなきゃ」という焦りがあり、上手くいかなかったことも相談できず、ダメな自分を自分で否定して、代わりに作り笑いを顔面に貼り付けて「おれはだいじょうぶ。」と周りに示していました。上手くいかないのは自分のせい、上手くいったのは周りのおかげ。他人に褒められても、心の底から喜びを感じることが出来ない時期が多々ありました。認めてもらいたいくせに、自分がそれを否定する。めんどくさい奴だったな、と反省しました。

今は、大切な家族ができて、そこで生き生きと生活することが出来ています。私がここで上手くいったのは、あくまで、くじ運が良かっただけだと思っています。これまでなんとかやり過ごして、何となく生活できていましたが、やっと、私自身居心地のいい、安全地帯を確保することができた、と思えました。

私には、頼りになる親はいません。頼れる親も、施設も、そこにはありません。でも、私を大切にしてくれる家族はいます。私は、私を大切にしてくれる人のために、できることをやっていくだけです。たぶん、ツラいこともあるだろうし、喧嘩するときも来ると思います。そういう時は、この海を見に来て、コーヒーを飲んで、切り替えよう。そうして、自分の心を切らさないように、大切な居場所を守って、生きたい。そう思えました。

 

 

iPhoneのアラームが鳴り、家に帰りました。休日だったためか、妻も娘もまだ寝ていました。いつもありがとう。これからも、よろしく。

 

 

 

 

 

特別に良いことがあったわけでも、嫌なことがあったわけでもありません。ただ何となく海を眺めたくなって、海を眺めただけ。意味があったかどうかは分かりませんが、なんとなく良い朝を迎えることが出来たような気がしました。

 

 

また、海を眺めに行こう。