児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

「お節介が人を助ける」という意識が必要

ある日、ショッピングモールでお買い物をしていました。

歩いていると、4歳くらいの子どもがウロウロしていました。「1人かな?いや、そんなはずない。」と周りを見渡すと、1人の女性が屈んで床を拭いていました。そこには、オレンジ色の液体が。女性の横には、これまた2歳くらいの子どもが佇んでいました。

 

 

あー、子どもがジュースこぼしたのね。

すぐに理解できました。

 

 

さて、ここからが問題です。私が見たのは、何メートルか先で、その手前のエスカレーターに乗ろうとしていたのです。助けなければ、という思いはあるものの、人の流れも遮る勇気も出なかった。

結果的に、私は困っている母親であろう人に声をかけるどころか、近寄りすらしませんでした。最低ですよね。

反省しています。

 

 

 

皆さんは、そういう場に遭遇したとき、すぐに声をかけること、できますか?

私は、咄嗟に声をかけることができませんでした。

 

 

 

私が言っても説得力ないですが、多くの人が「困っている人には、いつでも手を差し伸べるべき」という意識があれば、行動が変わるのかな、と思いました。

 

また、仕事に追われ、自分のことをただただ毎日をこなしていくだけで精一杯な私たち日本人に、他人を見る余裕があるのでしょうか?

 

そして、「お節介だ」と思われることを恐れている私たちがいるのではないのでしょうか?

 

更に言えば、どこの誰か分からない人に手伝ってもらうことを「恥ずかしいことだ」とか「迷惑だ」とか思う私たちがいるのではないのでしょうか?

 

 

 

 

私が考え過ぎているなだけかも知れません。しかし、幼い頃から、学校では「困っている人は助けてあげましょう」と教わるのに、どうしてか、私たちは困っている人を見て見ぬフリをしてしまいがちのような気がします。

 

 

 

 

子どもだってそう。

最近では、近所でいつも挨拶してくれるおっちゃんおばちゃんが減ってきたようにも感じます。お節介にも、食べ物のお裾分けをする方もめっきり見なくなりました。近くに住んでるってだけで、縁だなんだと言って親切にしてくれる人もあまりいないように思います。

当然、犯罪に巻き込まれる危険性や、アレルギーの問題もあるから、一概には言えないでしょう。

 

しかし、そういったお節介が、真に困っている人を救うセーフティーネットになるのではないでしょうか。お節介から何かを察知してくれ、救いの手を差し伸べてくれる、そんな人が身近にいることで、虐待防止になると思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、この前声をかけられなかったことを猛省しています。一人前の大人であると認識してもらえるよう、ひとつひとつの行動を振り返り、出来なかったことは反省し、次に生かしたいと思います。

 

 

 

 

 

本当に、悔やまれる。