児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

大卒の価値はなくなる

この前妻と話していて、「娘が大学に行くと考えた時、学資保険などどうするか。」という話題になった。(娘1歳。笑)

 

とても深い話をしていたわけではありません。もし、娘が医学部進学すると言い出したら、学費をどう捻出するか、そのために学資保険あったほうがいいのか、などなど。1歳児に期待かけまくりの馬鹿親のつまらない話をしていただけなので、「期待しすぎやろ」と、話を終えてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

もし、「医者になりたい」という夢ができたら、私たち家族がその道を応援しなければなりません。当然、医学部進学は必須で、その後研修医として働き、独り立ちするまでそれなりに時間とお金がかかります。でも、我が子の夢は応援したい。

 

 

 

 

ただ、「何の夢もない」状態になったと考えると、恐ろしい、ということに気づきました。

 

漠然と目の前の勉強をこなし、点数取るだけの生活をして、なんとなく大学に行く、という流れだと、もうその先楽しい人生が待っているとは到底思えません。勉強して褒められるのは学校まで。社会では勉強量ではなく、成果が求められます。いくら勉強できても、社会で通用するとは限りません。

 

令和のこの時代、中高生がネットビジネスで、ものすごい額のお金を稼いでいます。工夫やアイデアで新しい取り組みをしている人も大勢います。かの有名な前澤社長だって、高卒だそうです。もはや、大卒に価値を見出す時代ではなくなってきました。

 

 

 

しかも、今頃、大学の偏差値はどんどん下がっています。変な話、お金さえ積めば入れる大学がごまんとあるわけです。

そんな状態の中で、「いやーやっぱ使える人材は大卒っしょ。」となる経営者はいなくなるのでは?とも思います。

 

実際、教員として働いていても、同じです。学歴と仕事ぶりはイコールでつながりません。国立大出てもダメな人はダメだし、名の知れない私立大卒でバリバリ仕事できる人もいます。逆も然り。

 

 

 

 

 

 

資格のために大学に入ることは必要なことだと思いますが、「ただ大学に行って夢見つける」というのは危険だと思いました。大学は自分が学びたい領域について専門的に学ぶ機関。目的なく大学に入るのは、浪費と同じです。

「将来、医者になりたくて医学部来た」があればOKです。途中で挫折したら辞めればいいし、大学なんて受験して通れば何歳からだってリスタート出来るのですから。

 

 

 

 

 

 

これから、私が子どもにしてあげたいのは、将来安泰の道を教えるのではなく、広い世界を見せてあげることだと思いました。中学卒業までに、自分の好きなことを熱中して学ぶことができるものを見つけてほしい。いろんな場所に連れて行って、広い視野を持って、どんな社会に変容しても渡り歩けるようになってほしい。そんな願いを込めて、あちこちに連れ回そうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、お金の話、解決してない。笑