児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

施設にいたことを言うかどうか

 

 

 

 

児童養護施設にいたこと

私はこのことを

マイナス要素だと思っていない

むしろ

社会的養護に支えられ

自分の力で自立した

人とは違う経験をした

それが強みになると考えている

施設を出たからといって

他人から誹謗中傷を受けることは

今のところはない

 

 

 

しかし

言った相手によって反応が違うことは事実で

相手に悪気はなくても

その時に色々考えてしまう

 

 

 

高校時代

高校時代に友達に打ち明けたとき

反応は大きく分けて2種類

 


①「大変だったんだね。えらいね。」

②「寮生活みたいなもんか。楽しそうだね。」

 


打ち明けた友達は

私が信用している数名のみであるため

傷つけられることはなかった。

 


大抵、①を言われる

私が境遇を悲観しないように

②のように声をかけてくれた人もいた

気遣ってくれるいい友達を持った

反面

「えらい」「楽しそう」

と言われたことについては

不思議と違和感があった

それの正体なんなのか

よくわからなかった

 

 

 

 


大学時代

推薦入試の面接で

私は児童養護施設にいることを

自己PRに盛り込んだ

 


そのこともあって

大学生活では

児童養護施設出身」を公言していた

学科の友人にも

サークル仲間にも

薄いつながりの学生であっても

家のことを聞かれたら

施設にいたことをきちんと説明した

 


細かいことは

聞かれれば答えるようにしていた

 


でも

施設にいたこと以上の

「どうして施設にいたのか」

「なぜ施設にはいったのか」

そこを聞いてくる友達は少なかった

 


家庭のことは

一般家庭でもデリケートだし

そもそもあまり話さないことだ

それくらいの感覚だったろう

 


しかも施設にいるなどと言われると

触れちゃいけないことに触れているような

そんな感覚がするのだろう

 


友達の少ない私だったが

大学で

私を理解してくれる友達がたくさんできた

幸せなことだ

その友達には

本当にわかって欲しくて

酒に酔った勢いで

自殺しようとしたことがあることを

話したことがある

その時

「死なんで良かった。今こうして楽しい時間があるんやけね。」

と言われた

その時は「そうやね」と言ったが

二日酔い布団に埋もれた次の日

思い出して嬉しくて枕を濡らした

こんなことで一喜一憂できるとは

私の心も捨てたもんじゃないと思った

 

 

 

 


教員になって

この頃から

私は施設にいたことは

必要以上に話さなくなった

当然家庭の事情など

仕事と関係ない

家庭のことを話す必要があるときだけ話した

 


高校時代の時と同様だ

 


もちろん

周りはみんな学校の先生

きちんと理解してくれた

「大変だったのに、きちんと自立してえらいね。立派よ。お母さんも鼻が高いやろうね。」

 


私はやはり

「えらいね」と言われたことに

違和感を感じた

「よく、グレずにきちんと大学に行って、就職までできたよね」

これまた違和感だった

 


私はこの違和感について深く考えた

 


児童福祉司になってからは

私は施設にいたことを

職場に一切公言していない

 

 

 

 


次回ブログでは

その違和感についての

考察を綴りたい