児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

組織決定〜感情と論理〜

児童相談所では、何か対応すべきことが有れば、必ず会議に諮り、組織として対応を決定します。

 

おそらく、どの会社でもそうだと思うのですが、会議をする=集団決定をするということだと思います。それが、民間企業であっても、行政であっても変わらないでしょう。法律を作る時だって、全体の意思決定の場が国会であり、国会で決まったことが、国の法律になるということだと思います。

 

私が会議に臨む上で教わったことは「上司を納得させること」です。上が納得するか否かが、会議では重要だということです。当然、上が納得すれば末端所員の意見が通ります。また、納得させられなければ、上の意見で物事を進めなければいけません。めちゃくちゃ当たり前のことです。

 

そのために、私たち末端の人間は、上を納得させるため、必要な情報を集め、充分な資料を揃え、日頃の仕事や態度や礼儀を尽くさなければなりません。感情を排除し、論理を組み立てて会議に臨みます。

 

ただ、上司だって人間です。感情があります。仕事できる人間なら信頼できるし、日頃の勤務態度が悪ければ眉をひそめられるだけです。その判断は、上司の考え方一つで変わります。

 

 

これは弟から聞いた話なんですが、「理論の前提には感情がある」らしく、どんな理論でも、その裏には人の感情が隠れているとのことでした。感情を通すために、論理を組み立てる。たしかに、その通りだなあと思います。

 

 

 

末端の人間は、対応の実際を1番詳しく知っています。それはどこの世界でも同じでしょう。「この契約を取りたい」「この事案はこう解決したい」という人間の感情が、論理を組み立てるきっかけになるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだかぐちゃぐちゃわけわからないことになってきましたね。すみません。

 

 

 

 

 

 

私の感情で組み立てた論理が、会議の中で上に判断され、組織の対応が決定します。こうして決まった方針は、組織の方針です。末端の人間は抗えません。たとえそれが、私個人の意見に背く結果だとしても。

 

 

 

 

私は、子どもたちの幸せのために、一生懸命論理を組み立てます。できる限りのことはします。そして、組織の決定に基づいて行動します。それが失敗であれば、組織が責任を取ります。私に責任はない。組織の決定。心を殺して、対応にあたるだけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は今、対応中児童の人生の分岐点にいます。

私がどう会議に諮るかで、その子の人生が決まります。責任の重さは、重大だと理解しています。

 

 

 

 

 

そんな会議を、毎日毎日こなしています。

 

 

 

 

疲れます。