児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

いじめを教師が見過ごす理由

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いつの時代も、いじめの問題は、尽きないものだ

私自身も、小学校、中学校と、いじめを受けた経験がある。そういう経験から、教員時代、いじめを確認した際には、必ず子どもの話を聞き、学年で相談し、保護者も巻き込んで、どのように対処していくべきか話し合って、対応に当たった。いじめを受けた子どもにとって、最善の策を実行できたかどうかは分からなかったが、その子は不登校にならず、中学校に進学して、問題なく生活することが出来ているようだ。

 

しかし、今回の事件は、「教師によって子どものいじめが見過ごされた」事件だと、私は捉えている。本来救うべき立場の人物が、救うことが出来なかった悲しい事例だといえるだろう。

 

今回の記事は、いじめが起きる理由から、対処方法などについて、私の少ない経験から分析して考察したい。

 

 

  1. なぜ、いじめは起きるのか
  2. いじめを解決するためにはどうしたらよいか
  3. なぜ、教員はいじめを見過ごすのか
  4. いじめを深刻化させないために必要なこと

 

 

なぜ、いじめは起きるのか

いじめは、大きな社会問題というより、自然界で起きるごくごく自然な現象だと捉えるべきだろう。

学校というものは、一つの教室の中で、同じ基準で評価される場所であり、その中で優劣が決まっていくことが多い。また、閉鎖的で、他社に内部の情報が漏れにくい状態であればあるほど、いじめの発見が遅れ、深刻化しやすいのだ。

かの有名な、さかなクンも言っていた。

 たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。

学校は、同じような状態になっているといえる。また、コミュニティーの小さな業界や界隈の中でも 、いじめは多くなる。職員室でのいじめが話題になったのも、同様だ。

残念ながら、子どもは大人と違って、理性より本能に忠実な子が多いため、知能が低ければ低いほど、同様の行為をしてしまう。(教員間いじめをした教員の知能は…)

 

 

いじめを解決するにはどうしたらよいか

いじめは、意図的に解決することがそもそも難しいものだ。それは、「加害者に“いじめてやろう”という意識がなく、被害者だけが困っているという状態」が「いじめ」だからである。また、日本人の文化なのかよく分からないが、「被害を受けたものにも、落ち度がある。」と捉える人が多いのである。

いじめを解決するためには、方法はたくさんあるが、一番いい方法は、「客観的に判断に基づいて指導を実施する」ということだ。裁判所があるそもそもの理由と同様で、当時者同士で話をしたところで、解決などできず、より関係が悪化するばかりだ。そのため、外部の人間が、事実をもとに、「どちらがどう悪いか」を判断する必要がある。第三者ということは、教員も介入しない方がいいのだ。教員は、子どもに感情移入しがちなので、下手をすれば、事態の深刻化を招きやすい。

また、相手に危害を加えたことについては、子どもに責任はなく、親権者である保護者に責任がある。そのため、子どもへの指導は当然だが、加害児童の保護者への指導も必要である。また、双方保護者の協力なくしては、いじめの解決などあり得ない。そのため、いじめ解決の流れは以下の通りである。

  • 教員が、いじめの事実を認知する
  • いじめの事実と現状を細かく記録し、学校上層部(校長、教頭等)と共有する
  • 学校としての対応を決定し、組織として対応に当たる
  • 双方児童、双方保護者に対して、決定した対応を取る

 

私が実際にした対応としては

 

  • いじめの事実を確認し、当時の状況を詳しく聴取→上司へ報告
  • 認知後、数日間、被害児童を取り巻く事象について、観察しながら調査
  • 上記を記録し、校長を含めた会議で対応決定→被害児童保護者と共有
  • 被害児童の心のケア(スクールカウンセラー
  • 担任と被害児童で定期的に話をする時間を作る
  • クラス児童全体へ、いじめについての指導
  • 加害児童への個別な聞き取り、指導
  • 加害児童保護者へ、指導内容について連絡及び指導

 

かなり大変だったが、これでも不十分な気がしていた。被害児童がなんとか登校し続け、授業で自分から手を挙げて発表する姿を見るようになった時、「よかった」とほんの少し思えた。

 

 

なぜ、教員はいじめを見過ごすのか

私が対応した内容を踏まえると、お分かりだと思うが、要するに、いじめの対応はとても面倒なのである。おそらく、それに尽きる。また、いじめが起きたことについて、保護者から責められることは必至で、それを受け止めたうえで、協力を依頼し、子どものために注力しなければならない。

また、教員という人種は総じてプライドが高い人が多い。年齢を重ね「先生」と呼ばれる期間が長ければ長いほど、人に謝ることが出来なくなっていく。「自分のクラスで、いじめがあった」などと報告すると、必然的に保護者に謝罪したうえで対応する必要がある。それができない人間が多いのだ。

そのうえ、学校の教員を志望する人の多くは学校過剰適応者で、いじめの被害を受けずに、逆にいじめ加害をしたことがある人が圧倒的に多い。被害者の気持ちがわからない人も少なくないということだ。

もちろん、先生方の中には、誠実に対応してくれたり、そもそもいじめが起きないように学級経営してくれる優秀な方もたくさんいる。ただ、いじめが起きたとき、腰が重たくなる教師が多いということだ。

 

 

いじめを深刻化させないために必要なこと

私が考えることとしては、「いじめはどこにでも起きるもの」という概念のもと、いかに早期発見して対処できるか、また、いじめが起きないような風土や土壌を作れるかに尽きると考える。

私達大人に聞けば、大抵「いじめを受けた」「いじめをした」「いじめを目撃した」のどれかを経験しているはずである。それなのに、大人は「私たちの時はこうやって解決したから、なんとかなる。」「そのくらいじゃ、いじめとは言わない。」「私たちの時はもっと大変だった。」などと言うだろう。

 

(しらねーよ!今困ってる子どもを助けることを考えろよ!無責任なアドバイスしてんじゃねーよ!というか、いじめは昔からあったなら、もっと解決方法考えろよ!自分が受けた被害を子どもにも受けさせてんじゃねーよ!)

 

私達の身近にいる子どもは、10年後、20年後、私達の未来を支えてくれる大切な存在だ。ただでさえ、少子化が進んで経済も落ち込んでいるのに、自分の利益ばかり考えて、目先のことだけにとらわれてはいけない。

 

子どもは、社会の宝物だ。

親の所有物でも何でもない。

社会が、子どもを育てなければ、

この国の未来はない。

 

 

 

 

 

 

ながーく書いたので疲れました。

まあ、とにかく、いじめはダメってことです。

見て見ぬ振りも、ダメですよ。

 

 

 

 

 

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