児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

子どもが親に気を使う

暴力による虐待を受けた子どもに面談をした時、聞き慣れない言葉を聞いた。

 

「お母さんが、心配。」

 

大人の世界ではよく聞く言葉かも知れないが、この言葉を発したのは、小学校低学年の子どもだということに驚いた。

 

 

小学校低学年なんて、感情的で未熟で、自分の世界で生きている子どもばかりだと思われる。他人を心配、ましてや実親を心配していることに、違和感しか感じなかった。しかも、自分に暴力を働いた親に対して。

しかし、母親が精神的に参っていることは、誰の目から見ても明らかだった。母親自身もDV被害を受けており、推測ではあるが、子の養育どころではない精神状態であったのだろう。

 

 

 

 

 

子どもは、母親の元へ帰りたがっている。

 

 

 

 

 

 

処遇は、至極単純なものになった。親も子どもも納得した。してもらった。

 

 

 

 

 

 

 

結論は一言で言える内容だが、それに内包された諸々の事情は、小一時間で話し尽くせるものでもない。その子に関わった大人、子ども、機関、医療、福祉…etc。

複雑に絡み合った子どもを取り巻く環境の中で、児相が会議で「最善」だと判断した方針に従ってもらう。それも、正しいかどうかは分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

少なくとも、最前線で向き合った職員、私たちだけはきちんと把握しておかなければならない。

 

 

この子どもが自分を叩いた親を心配していること。

それが子どもから発せられた何らかのSOSであるということ。

そのSOSに子ども自身が気付いていないこと。

母子分離が必要であったこと。

子どもが望んでいない処遇に突き進んでしまう結果となってしまった。それが「最善」だとの判断で。

 

 

 

 

これでいいのか?本当に最善か?

 

 

 

 

 

 

うーん…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなことで、いちいち心を痛めている私は、児童福祉司に向いていないのかもしれませんね。反省して、次に進めるように、頑張ります。