児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

たまに思い出す。いじめられていたこと。

職場で仕事に集中している時、周りの人が雑談している時があります。私は私の仕事に集中しながら、話を聞き流しています。

この前ニュースでこんなことがあって、なになにさんはこの前旅行でどこどこ行ったんだって、どっかの部署の先輩が病気して大変そうなんだって。

話振られて対応する時もあります。質問されることもあります。自分の身の上話なんかほとんどしないですが、雑談程度付き合うこともちょくちょくあります。あんまりいい感じの返答しないもんだから、必要ないことを言われることは少なくなり、周りが少し気にかけてちょいちょい声をかけてくれます。

 

 

別に何も悪いことではないし、それで仕事に支障はないし、私自身も納得しています。

 

 

 

そんなやりとりをしている時にふと、小中学校でいじめを受けたことを思い出します。気持ちや意見を言うと、自分のこんな雰囲気で誰かの反感を買い、理不尽に嫌な思いをさせらるのではないかと不安になることがあります。実際そんなことはないんですけど。

 

 

 

小中学校では、きちんと勉強しました。先生の期待にはある程度応えることができていたつもりです。塾や習い事は特にしていなかったけれど、それなりに勉強できる子でした。しかし、運動能力は低く、字も汚く、絵が苦手。努力はするものの、上手くいかないことがあり、よく自己嫌悪になっていました。また、気が弱く、人から叱られることをひどく恐れていました。

私は、自分のことは好きになれませんでしたが、他人のことを大切にしてきました。困っている人は助けようと思ったし、周りに合わせて求められたことに一生懸命でした。

ただ、私のものの言い方は端的で、悪気なく嫌味な言い方をすることがあったようです。ある日勉強を教えていた時「おまえ、頭いいからって調子乗んな。」と言われたことがありました。それから悪評が広まり、菌が移るとか言われるような、ベタないじめを受けました。中学では、理不尽な暴力を受けました。

 

学校にはとにかく行きたくなかったのですが、兄弟や親に心配をかけないように、我慢して通っていました。だから、不登校にもなりませんでした。しかし、集団に対して嫌な思い出しかありません。

 

 

 

元来、私は、社会で生きている全ての人と仲良くするべきだと思っています。どんな人にもいいところはあるし、人は支え合わないと生きていけないと思っていました。幼い頃から、人が好きだし、人見知りもなく、友達が増えることに喜びを感じていました。お互いの良いところを引き出しあって、持ちつ持たれつで生活する。プライベートを侵さない程度の距離感で仕事をしていくことが最善だと思います。

しかし、今では、人と適度な距離で付き合うことが苦手になりました。そして、プライベートでは、自分から積極的に連絡を取らない性格になりました。

そうなってしまったのは、学校でいじめを受けたことが根っこにあります。また同じ目に遭うのが嫌で。

 

 

 

 

 

 

でも、私はいつも思います。みんなの中で適度な距離を保ちながら、波風立たず平穏に集団に適応する。これ、めちゃくちゃ難しくないですか?

 

 

 

 

 

もうめっちゃ当たり前の話なんですけど、公務員とか教員って、学校教育に過剰に適応できた人間がなるものなんです。そして、過ごし方も同じ。決まった時間に職場に行き、決められたことをきちんとこなせばいい。上から評価されて、経験年数や能力に合わせて仕事が割り振られ、時が経てば、定年して退職。一生、学校みたいな生活をするんです。楽しい未来が見えない。この世界に染まりたくないなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、おれ、公務員、向いてないなあ。笑

というか、よく教師なんかできてたなあ。

 

 

 

 

 

自分を変えることができるように、頑張ります。