児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

「育てきれないのなら、子ども作るなよ」

昨日、職場の同僚が愚痴って放った言葉です。

 

 

何気なく言った一言ですが、とても考えさせられました。

 

 

 

児相の職員は、基本的に、マイナスをゼロに持っていく仕事です。被虐待児の家庭環境を、最低限子どもの権利を阻害しないような状況に持っていき、関係機関につなぐ。これが、児相の仕事です。家庭環境ぐちゃぐちゃの状態で育つ子どもは、とにかくかわいそうなんです。

 

児相の職員は、子どものために、いろいろアプローチします。しかし、親が納得せず、暴言を浴びせられることも日常茶飯事です。親の都合で子どもがかわいそうな目に遭っているのにも関わらず。

 

しかも、児相は親権者の制度や、現行の法律の範囲でしか支援できません。児相の仕事として法律に載っていること以上の支援はできません。それについても、不平不満をぶつけられることも少なからずあります。

 

そういうことを繰り返していると、親に対して、ネガティブな感情しか浮かびません。「親は、児相の仕事を増やす迷惑な人」という感情が先走ってしまいます。

 

「なんで、こんな奴が子ども作ったのか」

「子どもがかわいそうだ」

「育てきれないなら、子ども作るなよ」

と、なってしまうのです。

 

 

でも、違うんです。

 

 

たしかに、子どもが虐待を受けてしまうことについては、100%親の責任です。でも、責任ばかり追い求めても、何もいいことはありません。親だって、人間です。最初から、自分の子どもを不幸にしてやろうなんて考えている人なんていないはずなんです。誰もが、最初は「命をかけてでも、この子を幸せにする。」と思うんです。

 

むしろ、「育てきれないなら、子ども作るな」と言われた親の元に生まれた子どもの気持ちを考えてください。子どもはどんな気持ちで受け止めればいいんですか?生きていていいんですか?子どもが生きていくことが迷惑ですか?

 

 

と、私自身の境遇と重なる部分もあって、心の中でモヤモヤしました。

 

 

 

 

みなさんは、どう思いますか?

こんなふうに書いて炎上してしまうと嫌なのですが、そもそも子どもなんて授かりもので、計画してできるようなものでもないと思うんです。自分の大好きな人と一緒にいて、自然な感情で、その時の流れでできるのが子どもだと思うんです。

 

こう書くと、「社会を知らなさすぎる」「そんな甘いものじゃない」と言われそうですね。

 

でも、「育てきれないのなら、子ども作るなよ」は、横暴です。同僚の気持ちはわかりますが、今を必死に生きている子どものことを思うと、そんなこと、私には言えません。

 

 

 

 

と、感情論でぐちゃぐちゃな文章ですみませんでした。きっと、疲れているんだと思います。寝ます。

 

ぐっない。