児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

夫婦の在り方

 以前、このような記事を書かせてもらった

 

lxifxe.hatenablog.com

 

 

私は子育てに関して

「父として」という男性的な役目には興味がなく

「親として」の意識が強い

 

そもそも

「夫婦」の役割の常識自体を疑っており

私は私なりの考えのもと

夫婦生活を営んでいる

 

 

日本人は昔から

「男が稼いできて、女が家庭を守る」といった価値感が未だ根強い

特に、高齢世代になるにつれ

「男はこうだ」「女はこうだ」などと

語る人が多くいる気がする

私の短い経験上

「男は~~すべきだ」「女は~~あるべきだ」といった”べき論”を展開する方々は、それによって生活が上手くいった人であり、世の中で”一般的”と言われる生活をした人たちである

また

”べき論”から外れて生活してきた人々は、世の中では”一般的ではない”生活をしていることから、社会から疎外された価値感の中を生きていることになる

なんとも世知辛い世の中だったこと

 

そんな日本も

インターネットの普及から

個性的な生活にスポットが当たり

多様化していくことを望んでいる社会になった

価値感、好み、性格、方向性、家庭環境に至るまで

共感してくれる人がつながりやすくなってきている

夫婦で生活を営むにしても

従来の”べき論”から遠ざかっても

受け入れられる時代が到来しつつある

とてもいいことだ

 

 

 

 

本題に入ります

 

 

 

私は、夫婦で生活する上で

とにかく気を付けていることがある

それは

「妻に依存しないこと」である

 

私たち夫婦は

お互いの足りないところを補いながら生活している

収入、スキル、能力に応じて

得手不得手も踏まえながら

生活を成り立たせている

 

掃除は、風呂やトイレは私、リビングや寝室は妻

料理は、時間に余裕がある方がする

お互いの予定はきちんと報告し、食事の有無等を話し合う

買い物や趣味に使うお金も

基本的に相手のことを否定することはないが、一応何にいくら使うか報告し合う

お互いを信頼しあっているため、お互い納得している

 

私たちがしないことは

「男女性による役割分担」である

少なくとも、私たち夫婦は元々他人であり

お互いの合意によって結婚している

それなのに、結婚した途端

「男はこうだ」「女はこうだ」などと決めつけて生活することは

ストレスでしかないのである

もちろん、能力や時間に合わせて役割分担することはあるが

私は私で家庭の家事全般できるし、妻も当然できる

お互いに仕事を持ち、お互いの仕事のことを理解するよう努める

自分のことは自分ですることを基本として

1人でも生活することが出来るような状況を互いに維持する

そうすることで

どちらかに不都合が起きた時に、補い合うことができるのである

だから

「夫がいないと経済的にまずい」とか

「妻がいないと家が荒れ放題」とか

私たちには、ないのである

 

妻に頼らなくても生活することが出来るということは

妻が困ったときに助けることができるということだ

もし、万が一、どちらかが倒れでもして

家庭を一人で支えなければならなくなった時

「男は仕事、女は家庭」なんて生活をしていれば

家庭は崩壊の一途をたどることになるだろう

依存して生活しないことを前提とすれば

互いの不都合を補填することができるのだ

 

こうして、お互いがお互いの役割に納得することができる環境を作っていくことこそが、夫婦の在り方だと私は考える

 

少なくとも

私は妻のことを信頼しているし

妻も私のことを信頼してくれている

だから

お互いに依存せず

お互いに助け合うことが出来る

 

 

 

 

 

 

 

妻はどう考えているかわからないが

私はそう考えている