児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

「えらいね」と言われる違和感

前回のブログから引き続き

施設にいたことを言うかどうか - 児童養護施設から自立した話

 

 

「えらいね」と言われたことについて考察する

 

 

 

①内容

私が「えらい」と言われる理由は主に

 


「施設という家庭と切り離された生活をして、家庭からの支援がない状態でも、きちんと自立している。」

 


といったところだろう

客観的に観て

境遇云々抜きにしても

しっかり勉強して大学行って

仕事もやって自立している

十分、「えらいね」と言われる

要件は満たしているのだろう

そこに社会的養護という側面を加えると

さらに「えらいね」の要素が多くなる

これは理解できる

 

 

 

 

 

 

②語意

では、言葉の意味から考えてみよう

 


えら・い【偉い/▽豪い】 の解説

[形][文]えら・し[ク]

1 普通よりもすぐれているさま。
㋐社会的地位や身分などが高い。「会社の―・い人」
㋑人間として、りっぱですぐれている。「苦労しただけあって、―・い人だ」
2 物事の状態が普通ではないさま。
㋐程度がはなはだしい。ひどい。「今日は―・く寒い」「―・い混雑だった」
㋑予想外である。ひどく困ったさまである。「―・い目にあった」
㋒苦しい。つらい。しんどい。「歩きどおしでからだが―・い」
(goo辞書より転記)

 


この言葉から考えると、

私は「普通より優れている人」

であると考えられる

 


しかし私の現状は

・家が貧乏

・友達少ない

・コミュ障

・だから勉強するしかなかった

・運動苦手

・ヒョロガリ

 


とまあこんな感じ

とても偉い人ということではなさそうだ

施設にいた云々は抜きにして

普通にクラスの陰キャ確定で

優れているとは到底言えない

 

 

 

③世間のイメージ

一般的に「えらい」と

私が教育者目線で言いがちなタイミングは

・指示通りに動くことができる

・ルールを守ることができる

・礼儀を大切にする

・集団に貢献する

 


というふうに

教育の方向性に沿った成長を遂げた子に対して

「えらい」と言われることが多い

 


つまり

他人より優れているのではなく

日本の教育路線の上に乗っかり

それ通りにまっすぐ社会人になった人を

通常「えらい」と言うのである

 

 

 

 


④まとめ

総括すると

客観的に見ると、よく頑張っている人

自分の中では、ダメダメな人

 


主観と客観のギャップがあることが

違和感の原因であると考えられる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


いや

 

 

 

 

 

 

果たしてそれだけか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


児童養護施設にいたこと

そもそも

「施設にいたこと」はマイナスなのか?

 


厚生労働省のデータによると

現在、児童養護施設で支援を受けている児童は

平成28年時点で27,288名いる

その他にも、乳児院、児童心理治療施設、里親、ファミリーホームなど、支援を受けている児童もいる

一方、被虐待児は確認できているだけで

平成27年時点で103,286名にものぼる

もちろん、このデータには存在しない

感知できていない潜在的被虐待児はまだいると考えられる

そもそも私は被虐待児ではなく

養育困難で措置されている

養育困難で児童養護施設措置されている児童は約4割いる

つまり

社会的養護を必要とする児童の数は計り知れない

 


(参考資料: https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11901000-Koyoukintoujidoukateikyoku-Soumuka/0000166119.pdf児童養護施設等について」平成29年5月26日)

 

 

 

私は偶然

社会的養護に救われ

ここまで成長できた

そのため、施設措置されたことについて

「不遇である」と端的に言うことが

正しいとは限らない

 


児童相談所の施設等措置の処遇決定は

必ず上役を交えた会議に諮られた上で決定される

児童福祉の最高機関である児童相談所の大人が雁首並べて決めた方向性であるため

子どもにとって最善の利益をもたらすと判断されたことだろう

この決定を安易に「不遇」と言っていいものか

 

 

 

私自身、社会的養護に救われたおかげで

大学進学が叶ったと考えており

今までのことを考えると

私自身は

「恵まれた環境にしてもらった」と捉えている

 

 

 

 

 

 

「えらいね」と言うことは

他人にとっては

その場の行動や私の過去の表面を切り取って言われた褒め言葉だが

私にとっては

私自身の人生や人格に向けられた言葉であり

褒め言葉のようで

私の過去を憐み

慰めの言葉をかけられているように感じていた

 

 

 

 


だから

違和感があったのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ようするに

私はひねくれているということで

 


これからは

他人の褒め言葉を

素直に受け止めるようにしようと

思いましたとさ

 

 

 

 

 

 

 


今の職場で

そのことに触れないのは

聞かれないからというだけです

 


褒め言葉を素直に受け止めれるよう

がんばります