児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

対面で話をしないと、簡単に信用できない

 

 

 

 

 

会ってみないと、分からない。

 

 

 

というのが、私の個人的な見解です。

児相みたいな仕事をしていることも理由のうちの一つですが、電話やメールでは、その人のことを理解することはできません。ましてや、SNSなんかで、その人の人物像や、自分との相性なんてものは、一切わかりません。基本、Face to face でないと、私は人を信用しません。

 

テレビやラジオ、InstagramTwitterなど、たとえその人が実名を使っていようが、顔を出していようが、その人の発言、行動は切り取られたものであり、それが全てではありません。会ってみて、その言動を見た上で直感的に「この人は信用できる」「いや、ちょっと怪しいぞ」「苦手だな」と判断することが、人間関係を作っていくうえで大切なことだと思います。その人の切り取られた言動を何度も読み返して分析するより、会った瞬間の直感の方が何倍も正確だと思います。「百聞は一見に如かず」とは、まさにこのことだと思っています。

一回会ってみれば、その人を信用するかどうか、ある程度見極めることができます。会う回数が増えれば増えるほど、その信用性は高まり、「信頼」に変わる可能性も増えていきます。

 

 

こう書くと、「じゃあTwitterのフォロワーの発言は信用していないのか」と言われると思います。その通りです。信用していません。

ただ、サンプルをくれるのがSNSだと思っています。SNSは、信用しないけど「こういう考え方もあるのか」と、自分で考えるきっかけにすることができます。だから私は、SNSを利用しています。

 

 

そして、私のブログやTwitterでの発言も、信用ならないかもしれません。

賛同してくれる方がいらっしゃる一方で、私自身に大した影響力はなく、正しいことを言っているかどうかなんてものも、会ってみないと分からないでしょ?だから、私のネットを介した発言も、簡単に信用しないでくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余談ですが、私はこれまで恋愛に関して、ほぼ全て一目惚れです。相手の表情、言動、所作など、会って数分で引き込まれて行くことが多いのです。ちなみに、今の妻も一目惚れです。笑

 

 

 

 

 

 

 

あくまで、一個人の見解です。参考までに、当ブログを利用してくださいね。

公務員は安定か?

3月いっぱいで公務員を辞めることとなり、これからの生活にドキドキしています。

 

 

コロナで株価暴落して、世界的な不況が目に見えてやってきている今日この頃、おそらく、公務員の人気は爆上がりすると思われます。

何故って?景気に関わらず安定した給与をもらえるではありませんか。

公務員には、税金という、国民さえいれば得ることができる財源がありますからね。どんなに景気が悪くなろうと、一般人の平均ちょい上くらいの給料はもらえるでしょう。しかも、長く勤めれば、昇給する。福利厚生も優遇されている。また、普通に仕事をしていれば、突然クビなんてこともない。国や自治体がある以上、運営し続ける必要があるでしょうから、仕事もなくならない。「経済的安定」という面では、めちゃくちゃ優秀です。車や家のローンを組むにはもってこいの職業です。

 

経済に疎い私の拙い意見ですが、コロナ不況で確実に失業者は増えると思われます。経済が回らなくなれば、会社の収入が減り、会社が今までと同じように資金繰りできなくなるでしょう。そうすれば、リストラは派遣切り、減給などなど策を講じなければなりません。ああ、これから先に不安しか考えられない、、。

 

 

そう考えると、公務員ってめちゃくちゃ幸せですよね。公務員の最大のメリットは「社会の動向に関わらず仕事があり、給料がもらえる」ことですから。社会がどう変わっても、言われたことをこなしていけば、確実に生活はできますからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の思いを書きます。

今、消費税が10%まであがっています。それなのに、税収は増えていません。不景気が続いている中での消費増税で、給与の少ない人たちの経済が大ダメージを受けています。

その裏で、法人税は下げられている。

経済格差が加速する、、。

地域や親族といった身近な関係が希薄になってきている今、行政に対する要求も増えていきます。公務員の仕事はどんどん増えていきます。経済的に安定しているとは言え、時間的にも精神的にも重たい仕事になってくるのではないか、という不安。

そして、税金からお給料を貰っている私ですが、私に払われている給料が、果たして正当なものなのかという疑問。

子どものために何ができるか。何かしてあげたいのに、個人的な思考は排除して対応しなければならない葛藤。

組織に守られて、ガチガチの縦社会の中で、私自身に適正がないのではないかと思ってしまいました。

どんなに一生懸命働いても給料は変わらない。そこに私の存在価値は?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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はぁ〜うまい。

 

日曜だけどビール飲んでます。

これなんで、内容がもうぐちゃぐちゃです。ごめんなさいね。

 

 

 

 

公務員やめるまであと9日。

 

 

「ダメさ」を認めてあげて

※砕けた感じの文章になります。ご了承ください。

 

 

 

 

あ、ミスをした。

ああ、やらかした。

ああ〜、人から叱られた。

あああ〜、上手くいかない。

あ〜〜〜、何をやってもダメだぁ〜。

 

と、なること、ありませんか?

 

 

 

私はめちゃくちゃあります。

 

普段、他人に自信あり気な態度を見せている私ですが、内心はバリめっちゃネガティブで自分に自信がないので、小さなミスでも積み重なると「もうダメだあ〜」となります。しょっちゅうなります。毎日自己嫌悪と戦いながら生きてます。

私は、「死ぬ」とか「殺される」とかエゲツない恐怖には疎いんですが、自分のミスには敏感に反応してしまいます。すんげぇ凹みます。ベッコベコ。

自分に自信がある人が羨ましい。特に、根拠のない自信を持った人は最強だと思います。「まあ、よくわからんけど、俺すげえ。」と思える人、めちゃ尊敬してます。すげえよ。

 

 

じゃあ、私みたいに自己肯定感低い人間はどうやって頑張るか。もう他人から「そういうこともあるよねー」とか「わかるーそれしんどいよねー」とか言ってもらうしかないんですよ。他人にそう言って貰わないと、どんどん自己嫌悪の泥沼にハマっちゃうので。

もう1番ヤなのは、「こうやったらいいよ!」「ああすれば上手くいくよ!」「この部分がいけないから、直したらいいよ!」とかいう建設的なアドバイスなんです。わかってるんですよそんなこと!分かってるのにできない自分に追い討ちかけられるからしんどいんです!

 

 

で、私が今救われてるのは、ダメな自分の存在を認めてくれる人が近くにいることです。妻や義両親は、私のダメさ加減を知っていて、「そういうことあるよね〜」「面倒やね〜」とかやんわり聞き流してくれます。ありがとうぅぅぅ。

 

私もなるべくガチな仕事の場面でない限り、人の愚痴とかはなんとなく聞いて「それ、大変だねぇ〜」「その気持ちわかる〜」と言うようにしています。(いや、ちゃんと聞いていますよ)

実際、プライベートで相談とかする人は、大抵自分の中に答えを持っていて、自信がなくて相談してるパターンが8割くらいあると思います。本人が答えを欲しがっている時だけ、自分の意見を言えばいいと思っています。

 

まあ、全員が全員そう考えてるとは限りませんが。

 

 

 

 

 

真面目な話をすると、100%完璧な人間なんていないので、人間である以上、失敗とか間違いはあって当たり前なんです。そして、誰しも「ダメな部分」を持っているものです。

その「ダメさ」って、人間を豊かにしていると思うんです。ダメな部分があるから、「この人って、こんなところあるんだ!面白い!」ってなるんですよね。たぶん。

 

 

だから私は、なるべくその人のことを受け止めるようにしています。そして、否定も肯定もせず、共感するようにしています。私がそうしてほしいから。

身近な人の「ダメさ」を認めてあげてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

という思いで、妻の話を聞いていた時、「ちゃんと聞け。」と注意されたことがあります。

やりすぎ注意!

卒業ソング

今年、コロナ休校の影響で、卒業式が短縮されたり、入場者を制限したりと、なにかと話題になっていますね。卒業生のための音楽特番とかがテレビで放送されているのを見て、ああ、まだ世の中捨てたもんじゃないな、と思いました。

 

 

 

さて、卒業式といえば、歌だな、と個人的には思っています。

旅立ちの時に歌う合唱曲がいくつかあり、学校でもよく歌われます。各アーティストも、卒業ソングと題した歌を持っていることが多いです。

(ちなみに私の大好きなコブクロも、今年「卒業」という曲を発表しました、本当にいい曲なので、勝手に宣伝します。「桜」「蕾」に匹敵するくらい、コブクロの良さが詰め込まれている曲だと思うので是非聞いてみて…)

 

 

私が初めて小学校6年生の担任をしたときです。

私はギター弾き語りが趣味だったので、卒業式の最後のホームルームで、歌でも歌って、思い出になってくれればな、と思っていました。

コブクロ「桜」もいいなあ。今流行りの曲でもいいなあ。何がいいかなあ。どんな歌だったら思い出に残るかなあ。いろいろ考えました。

「目の前の卒業生のために」

これだけを考えると、よくあるお祝いの形ではなく、私オリジナルのお祝いでないといけない!と思いました。

 

オリジナル?曲書くか!

 

ということで、卒業式2週間前から、クラスの子どもたち一人ひとりへのメッセージを書きながら、曲を書きました。

特に、歌詞にはこだわりました。メロディは忘れられても、言葉は残る。そう信じて、寝る間を惜しんで詞を書きました。

私がテーマにしたのは「道」です。「道」は「未知」と同じ音で読みます。一人ひとりがみんな違う道を歩みます。それは道無き道で、それは未知なる道でもあります。同じ道はひとつもない。そんな時に支えになってくれる言葉を綴りました。

でも、卒業式で歌うのは、保護者の手前、恥ずかしいかな、と思い、卒業式前日の最後の授業で、子どもたちの前で歌いました。

すると、子どもたちから「卒業式でも歌ってほしい。」とお願いされました。こんなに嬉しいことはありません。私は、その日家に帰り、何度も何度も練習して、卒業式に臨みました。

頼りない教師で、子どもたちや保護者にとって、良い先生ではなかったかもしれません。トラブルもたくさんありました。褒めたことも叱ったこともたくさんありました。いろんな思いが駆け巡っていました。

 

卒業式は無事に終わり、最後のホームルームで歌を披露して、その日は終わりました。あっという間の出来事で、当日のことはほとんど覚えていませんが、とても充実した1日だったことだけが感覚として残っています。

 

 

 

 

 

 

 

その1年後、私がその小学校から異動が決まった時、当時の卒業生から手紙をもらいました。そこには、私が作った歌の歌詞が書かれていて、「先生は、私にとって、最高の先生です。」と書かれていました。

 

教師になって良かった、と思えた瞬間でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただの思い出語りでした。

カフェイン中毒

私は、自他共に認めるカフェイン中毒です。コーヒーばかり飲んでいます。朝も昼も夜も、飲んでいます。旅行先、仕事中、運転中、息抜き、全てコーヒーです。

 

 

もともと、コーヒーを飲み始めたのは、高校の時です。夜遅くまで勉強するときに、ブラックコーヒーで目を覚そう、と飲み始めました。それから、コーヒーにハマって、いつしか私の生活必需品となりました。たぶん、私の体の中の血液の半分はコーヒーではなかろうかと思われます。

 

 

ネットで適当に調べると、コーヒーの1日の摂取量は5〜6杯が限度で、胃が荒れたり睡眠の質が下がったりするリスクもあるそうです(私はそれ以上飲む日も少なくない)。調べれば調べるほど、カフェイン中毒はいけないことだ、カフェインレスを飲むべきだ、との意見があります。

 

 

これを踏まえて私の意見を言わせてもらうならば、

「で?」

って感じです。

 

 

たしかに、ネットの記事にあるようなリスクはあると思いますが、定期健康診断で、「コーヒーめちゃ飲む?それ辞めた方がいいよ」と医者に言われたこともありません。

しかも、カフェインの量だけで言えば、コーヒーより緑茶の方が多いそうです。日本人は元々カフェイン耐性がある体質なので、きっと大丈夫でしょう。

また、私はコーヒーに砂糖もミルクも入れません。ブラック派です。糖質や脂質を過剰に摂取しているわけでもありません。問題ないでしょ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この前、「コーヒーばっかりじゃ体に悪いよ!中毒じゃん!」と知人に言われたので、その愚痴です。笑

ちなみに、コーヒーが切れて手足が震えるなんて症状はありません。好んで飲んでいるだけで、本気の中毒ではないので。

 

 

 

 

 

 

 

ただ、何事もほどほどがいいですよ。スマホもゲームもコーヒーも。

海を眺めるだけ

ある日の早朝、1人自転車で海を眺めに行きました。

 

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その日は、肌寒くはありましたが風はなく、非常に穏やかな気候でした。朝、自分で淹れたコーヒーを飲みながら、海を眺めていました。頬で感じるひんやりとした空気と、少し冷めたコーヒーの香りが、何とも言えない幸福感を私にもたらしてくれました。

 

 

私の人生で、これほどゆったりと自分の時間を大切にしたことは、とても少なかったように思います。両親が離婚し、「ヨウがお父さんの代わりだね。」と言われたのが小学校1年生の時。それから、子どもらしく育てられつつも、自分の中で「きちんとしなきゃ」「認められる存在にならなきゃ」という焦りがあり、上手くいかなかったことも相談できず、ダメな自分を自分で否定して、代わりに作り笑いを顔面に貼り付けて「おれはだいじょうぶ。」と周りに示していました。上手くいかないのは自分のせい、上手くいったのは周りのおかげ。他人に褒められても、心の底から喜びを感じることが出来ない時期が多々ありました。認めてもらいたいくせに、自分がそれを否定する。めんどくさい奴だったな、と反省しました。

今は、大切な家族ができて、そこで生き生きと生活することが出来ています。私がここで上手くいったのは、あくまで、くじ運が良かっただけだと思っています。これまでなんとかやり過ごして、何となく生活できていましたが、やっと、私自身居心地のいい、安全地帯を確保することができた、と思えました。

私には、頼りになる親はいません。頼れる親も、施設も、そこにはありません。でも、私を大切にしてくれる家族はいます。私は、私を大切にしてくれる人のために、できることをやっていくだけです。たぶん、ツラいこともあるだろうし、喧嘩するときも来ると思います。そういう時は、この海を見に来て、コーヒーを飲んで、切り替えよう。そうして、自分の心を切らさないように、大切な居場所を守って、生きたい。そう思えました。

 

 

iPhoneのアラームが鳴り、家に帰りました。休日だったためか、妻も娘もまだ寝ていました。いつもありがとう。これからも、よろしく。

 

 

 

 

 

特別に良いことがあったわけでも、嫌なことがあったわけでもありません。ただ何となく海を眺めたくなって、海を眺めただけ。意味があったかどうかは分かりませんが、なんとなく良い朝を迎えることが出来たような気がしました。

 

 

また、海を眺めに行こう。

娘との2時間

先日、妻を休ませる目的で、娘を連れだし、公園へ遊びに行きました。

私の住んでいるところはまあまあの田舎で、最寄りの小学校まで徒歩30分というまあなんというか、とにかく田舎なんです。

その代わり、人が少なく、山や海に恵まれ、自然豊かです。子どもを遊ばせるにはもってこいなんです。昨日は天気が良かったので、小学校裏の公園で1時間ほど遊びました。

 

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娘は1歳半なのですが、外に行くだけでほんとに楽しそう。砂をつまんでみたり、石を拾ってみたり、よたよたと走ってみたり。たまに私のところに寄ってきて、抱っこをせがんで来るのですが、2~3分抱っこしたらまた自分で遊びに行くのです。かわいいいいいいいいぃぃぃ

 

 

公園にはほとんど人がおらず、犬を散歩させているおっちゃんと、ひと家族がグラウンドで自転車で遊んでいた程度で、遊具は使い放題でした。でも、娘が一番ハマった遊びは、階段の上り下りです。何が楽しいのかよくわかりませんが、階段を手を繋いで上り下りするのが楽しみたいで、一番上まで登ってはハイタッチ、下まで降りてはハイタッチ。お父さんが疲れましたよ。でも、1年くらい前は寝返りできたくらいで大騒ぎしていたのに、いつの間にかこんなに成長していることに感動しました。日ごろ子育てをしてくれている妻に感謝です。

 

 

その後、車を5分ほど走らせて、近くの海に行きました。

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海水浴場があるのですが、冬場は公園みたいに普通に開放しているのです。娘は、砂浜で漂流物であろう木の枝を拾って、砂にたくさん線を描いていました。枝が目や口に刺さらないか心配していましたが、振り回したりしていなかったので、近くで見守っていました。なんか自然に囲まれて、健康的に育ってくれればなあ、と思いました。

 

 

自宅に帰って、少しの外出の間にあったことを話しました。まあ、いつも通りの会話なのですが、いつもとちょっと違ったのは、妻も娘も、いつもより表情が明るくなっていたことです。

 

 

 

 

 

子育てについて、ちょっと考えてみました。

幼い子どもって、片時も目を離すことが出来ませんよね。逆に、子どもも、片時も目を離されていませんよね。それが当然っちゃ当然なんですけど、2人がずっと一緒にいることが続くと、お互いにしんどいのではないかと思いました。いくら親友と呼ばれる仲の友達でも、よほど信頼している人でも、お互いに常に密着してべったりしていると、どうしてもお互いの嫌なところから逃げられず、だんだん嫌になってくるはずです。

小さい子どもも、1人にされるのは不安だと思いますが、同じ人とずっと一緒もきついのかな、と。妻だって、子育てばかりでは、気が滅入ると思います。子育てって、楽しいことより、面倒だったり時間がかかったりすることが多いと思うので。

それから、たった2時間ですが、娘を連れて出かけて思ったのは、想定しなければならないことが、やたらめったら多いということです。行った先に危険なものはないか、危ないものを触ろうとしていないか、石や虫を誤飲しないか、おむつの状態は大丈夫か、手洗い場はどこにあるか、どれくらい遊んだら、夜ちゃんと寝てくれるか、ご飯の時間を考えると、何時位に帰らないといけないか…。普段子育てしていない私でも、これくらい気になることがあるので、妻はその10倍くらい考えているのではないかと。普段はその上に家事仕事をしてくれていると考えると、ホント、感謝が尽きません。

 

 

 

 

今の私にできることは、たまに妻から子どもを引きはがし、妻が不安にならない程度の時間で遊んで帰ってくることかな、と思っています。

 

 

 

娘の変化をみながら、子育てになにが大切か、これからも考えていこうと思いました。