児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

私とコブクロの出会い

私は

コブクロというミュージシャンの

熱狂的なファンの1人である

彼らが好きで曲を聴き漁り

ギターを始め

曲作りの時は

コブクロが先生だった

私の青春時代に

コブクロの音楽は欠かせなかった

 

 

 

 

コブクロ

PROFILE|KOBUKURO.com

 

偶然出会った2人が

音楽の世界を目指し

いつしか日本全国の人が知る

有名アーティストとなった

 

 

 

私がコブクロの音楽と出会ったのは

中学校の時だった

 

当時私は音楽は好きだったが

新しいジャンルの音楽を取り入れることは

していなかった

音楽好きの友達がいて

その友達に

コブクロ、良いよ。」と勧められ

CDを借りた

 

家に帰って聞いてみた

 

耳に残るメロディーライン

心に突き刺さる歌詞

アーティストとしての人間性

知れば知るほどのめり込んだ

 

その当時

「東京タワー〜僕とオカンと、時々、オトン〜」

という

リリー・フランキー作の

小説、ドラマ、映画が流行っていた

そのドラマの主題歌が

コブクロの「蕾」だった

 

コブクロの「蕾」と聞けば

大抵の人は理解するだろう

「消えそうに〜咲きそうな〜」という曲だ

 

しかし、私は

最初の歌詞に感動した

 

 

  涙こぼしても 汗にまみれた笑顔の中じゃ

  誰も 気づいてはくれない

  だから あなたの涙を 僕は知らない

 

 

鳥肌が立った

 

この歌詞を読んだら

これは一体誰のことなのか

簡単に想像できるだろう

 

コブクロの小渕さんは

18歳で亡くした母のことを思い

この曲を書いたという

 

私たちは

私たちを支えてくれた人の

涙を知らない

それは

悲しみが見えないほど

大切な人が一生懸命だったからである

 

 

こんな素敵な歌詞を書くことができる

コブクロを尊敬した

 

 

 

 

私の母は

小説を読むことが好きで

この「東京タワー」も読んだ

その本の後半

水に濡れて寄れたページがいくつかあった

母は

「この本を読んで、泣いた」

と言っていた

 

それにあっていたのかなんなのか

この曲は大ヒットし

日本レコード大賞を受賞した

 

 

また

私はコブクロの曲を

デビュー当時の頃から

聴き漁った

 

その中で

「轍-わだち-」という曲にハマった

 

Gコードを力強くストロークするイントロ

背中を押してくれる歌詞

最高だった

今でも

私が人生で一番好きな曲と聞かれれば

「轍-わだち-」と答えるだろう

その中の大好きなフレーズがある

 

  こんなに強い自分が

  いることに気づいたのは

  この道が誰でもない

  自分で選んだ道だから

 

自分らしく生きているから

強くいられるということ

どんな権威のある教育者より

ありがい言葉だった

 

 

 

 

それからというもの

コブクロの昔の曲を遡り

いろんな曲を聞いて

新しい曲も聞いて

自分で演奏できるようになって

歌詞を読み込み分析し

コブクロが言わんとしていることを探った

 

コブクロを語ると

この文章では書ききれないので

(少なくとも丸1日はかかるだろう)

ここまでにしておく

 

 

 

 

つまり何が言いたいかというと

 

コブクロの2人が

私の人生に大きく影響を与えたのだ

ということだ

 

 

 

 

 

 

 

 

いつか

会って話をして

私の作った曲を

歌ってほしい

 

 

 

なんてね