児童養護施設から自立した話

児童養護施設出身の筆者が綴る大したことのない日常の話

親の務め

 

 


親になると

子どもの面倒を見なければならない

 


それは当然のことである

 


しかしながら

親は子どもに

三食栄養のある食事を摂らせ

適度に運動させ

学校に通わせ勉強させ

必要な知識を教え

礼儀と生活習慣を身につけさせ

子どものトラブルを解決し

時に子どもの代わりに頭を下げ

子どもの成長を見守る

 


これを世間一般では

「当たり前」と表現する

 

 

 

文章にすると理解できるだろうが

この「当たり前」がいかに難しいか

 

 

 


しかし

教員として働いて感じたのは

私たちが親に言う

「できて当たり前」は

親にとっては

とんでもないプレッシャーだろう

 

 

 

私が教員時代に聞いたことがある

「当たり前」は

 


・宿題はきちんとできて当たり前

・すれ違う時にきちんと挨拶するのが当たり前

・身の回りの整理整頓ができて当たり前

・給食をきちんと時間内に食べ切って当たり前

・好き嫌いせず食べるのが当たり前

・どんな勉強にも一生懸命で当たり前

・頼まれたことは素直に受け止めて当たり前

・相手の気持ちを考えるのが当たり前

・クラスのことを考えて行動するのが当たり前

・喧嘩したらすぐに謝るのが当たり前

・わがまま言わないのが当たり前

・ゲームばかりしないのが当たり前

 

 

 

まだまだ書ききれないほど

教員は子どもに「当たり前」を押し付けている

 

 

 

 


私自身は

働きながら

「これって、自分ができないのに言っていいものか?」

「自分ができるからと言って、他人に押し付けていいことか?」

と感じていた

 


もちろん

人の心や体を傷つける行為は許されない

 

 

 

けれど

私たち大人だって

好き嫌いして食べ物を残すし

仕事に進んで取り組めない時もあるし

デスクの回りがぐちゃぐちゃでも仕事捌いている人もいる

 


自分がしたくない仕事を放り投げて楽する人も少なからずいるし

誰にでもすれ違ってニッコリ笑顔で「おはようございます」はなかなかできないし

通勤電車の中ではみんなスマホ見てる大人で溢れかえっている

 


「人の振り見て我がふりなおせ」とは

よく言ったものだ

 

 

 

結局

教員が求める「当たり前」は

限りなく「理想」であるのだ

 


そこまで求めることに

私は常々疑問を感じていた

 


子どもに理想を押し付けたところで

私たちができていないことを教えても

子どもは納得などしないだろう

 

 

 

 


私たち親

いや

大人が子どもに出来ることはなんだろう

 

 

 

教員が言う「当たり前」はハードルが高い

かと言って

できないことを無理やり子どもに強いるのも

良くない

 

 

 

 


小学生の将来の夢ランキングに

Youtuberがランクインしたのは

Youtuberが楽しそうに見えたからだろう

私だって大好きなミュージシャンに憧れた

アイドルやスターはキラキラ輝いている

スポーツ選手は皆から称賛される

親に憧れるのは

親が楽しそうにしているからだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


私の結論は

 


我々親の役目は

子どもの前で

楽しく生活すること

 


そして

 


子どもが安心して

寝泊りできる環境を作ることだ

 

 

 

それだけでいい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それが難しいのだが